十石舟・三十石船
十石舟・三十石船

TEL:075-623-1030 (お電話受付は運航期間中の10:00~16:00/月曜定休)(運航期間中の10~16時/月曜定休)

ひとあじちがう京都を
体験しませんか?
―雅をささえた「港町伏見」で風に吹かれる―

港町の歴史をもつ「伏見」は
豊臣秀吉がその基礎をつくりました。
華やかな京都のまちをささえた
交通・流通の要は水運。
「伏見」には季節とともに港町を伝える
遊覧船『十石舟』が運航しています。

3月下旬から4月上旬頃は
桜のシーズン

お舟の運航する川沿いには百数十本の桜が開花します。心地よい春の散策シーズンにお舟で足を休めるのも一興。

春
春

風を感じる船内から
涼しげな紫陽花を

地域のみなさんと植樹した紫陽花が水辺を彩ります。しとしと雨音を聞きながらゆったりと進むお舟もまた風流。

夏
夏

やわらかな日差しと
紅葉の水辺

川沿いに育つもみじや桜も色づき、静かに冬の準備。凛とした空気と水面に反射する光はどこか懐かしくもあります。

秋
秋

12月中旬から
3月中旬の間お舟は運休

琵琶湖から流れるてくる川の水を上流で止めて、安全維持のため河川改修等を行う期間はお舟が運休期間に入ります。

冬
冬

運航コース

コース

【十石舟】 −所要時間:約50分−

  • 十石 往路:十石舟乗場→伏見みなと広場へ/約15分
  • 十石 立寄:伏見みなと広場三栖閘門資料館見学/約15分
  • 十石 復路:伏見みなと広場→十石舟乗船場へ/約15分

【三十石船】 −所要時間:約40分−

  • 三十石 往路:三十石船乗場→伏見みなと広場へ/約10分
  • 三十石 立寄:伏見みなと広場三栖閘門資料館見学/約15分
  • 三十石 復路:伏見みなと広場→三十石船乗船場へ/約10分
コース

十石舟ご予約方法

※ご予約は、乗船希望日2日前の0時までの受付となっております。
※お支払いは当日。乗船場「受付」にてお願いいたします。
※出航の15分前までに必ず、受付・集合をお願いいたします。
※ご希望の乗船時間はお間違いのないようお願いいたします。
※ネット予約は十石舟のみとなります。三十石船についてはお電話にてお問合せください。

ご乗船について注意事項

河川は自然の影響を受けやすいため安全上、下記をご理解ご協力いただきたく存じます。
※出航の15分前までに必ず、受付・集合をお願いいたします。
※出航時間はお舟履行の安全対策のため前後する場合もございます。
※安全上の都合により運航期間・運休日・出航時間は急遽変更となる場合もございます。

乗船場所へのアクセス(Google マップ)

港町

伏見は、その長い歴史のなかで
城下町、宿場町、そして京の都最大の
内陸港として栄えてきました。
なかでも繁栄の大きな礎となったのは
日本各地と京を結んだ
「水運」でした。
港町としての伏見の歩みが
今日のまちの
にぎわいを築いたと
いえるでしょう。

港町マップ

伏見城築城によって
開かれた伏見港

 かつて伏見は巨椋池という大きな池に囲まれた地域でした。その巨椋池から水路として宇治川を分離して整備し、港を設けたのは豊臣秀吉。天下統一を果たした秀吉が、その晩年に拠点となる城をつくろうと考えたことが始まりでした。
 築城に必要な材木や資材を運び込むためには、自然のままの川では荷の上げ下ろしも難しく、台風などの災害時にも大きな被害を出してしまいます。そこで文禄三年(一五九四年)、大規模な治水工事を行い、整備されたのが伏見港。秀吉は築城と同時に全国各地の有力大名に屋敷をつくらせ、商工業者を呼び寄せて都市としての基盤整備を行います。
 伏見は、京と大坂、そして全国各地をつなぐ港町として栄えていくようになるのです。

秀吉から家康へ
港を拠点に
にぎわうまち

徳川家康

 伏見港を築いたのが秀吉なら、それをさらに発展へと導いたのは徳川家康。秀吉の死後、天下を掌握した家康は伏見城にとどまって政権を整えていきます。伏見は幕府の直轄地となり、城下には日本で初めての銀座(通用銀の鋳造所)が設けられるなど、経済拠点としての役割も担います。
 港は幕府公認の過書船や旅人たちの乗り合い船、全国各地の荷を乗せた大小の船でにぎわい、人と物資であふれる港は交通と流通の基地として大きな役割を果たしていました。また幕府が定めた参勤交代制度のなかで伏見は西国大名の発着地となり、水陸の宿場町として繁栄を極めていくのです。

三十石船絵図

高瀬川運河の開削と
現代に復活した十石舟・三十石船

 伏見が港町として整備されていくなか、御朱印船貿易で活躍していた角倉了以が家康に水路の開削を願い出ます。そして、京都と大坂を水運で結ぶ壮大な計画から生まれたのが「高瀬川」。慶長一九年(一六一四年)の開通以降、伏見港に船が集中するようになり、その中継地である伏見は京の都の南の玄関口としてさらに大きく発展したのでした。

高瀬船絵図

 明治に入り、鉄道など陸路の整備とともに伏見港はその長い役割に幕を下ろしますが、かつて旅人を乗せて淀川で活躍した「十石舟」「三十石船」が復活。観光船として人気を呼び、まちを訪れる人々に伏見の歴史を伝えています。

三十石船・十石舟

元禄期の三十石船

 三十石船とは、幕府公認の過書船の一つで、伏見と大坂を結んだ旅客船。屋形がない簡素なもので定員は28人。「京都役所方覚書」によると元禄期の三十石船の大きさは長さ約11〜15m、幅はおよそ2m。座席は座布団で仕切られ、ひとりのスペースが狭く、人数分の料金を支払うとそれに合った広さを確保できたといわれています。

舟

 三十石船とは、幕府公認の過書船の一つで、伏見と大坂を結んだ旅客船。屋形がない簡素なもので定員は28人。「京都役所方覚書」によると元禄期の三十石船の大きさは長さ約11〜15m、幅はおよそ2m。座席は座布団で仕切られ、ひとりのスペースが狭く、人数分の料金を支払うとそれに合った広さを確保できたといわれています。

  • ①場所をとる傘は屋根の上へ。
  • ②加子(船員)は4人で竹竿を持つ水夫が立って船を舵取りした。
  • ③屋形がないため、むしろを屋根がわりにした。
  • ④煮炊き用の窯もあった。
水車(京都市伏見区) 淀大橋(京都市伏見区) 樟葉渡口(枚方市) 守口駅  新川(守口市) 川崎  桜宮(大阪市北区・都島区) 片町京街道  川崎渡口(大阪市都島区・北区)