伏見夢百衆
伏見夢百衆

営業時間/10:30~17:00 定休日/月曜日
TEL:075-623-1360

家に帰れば日常

日常を豊かにしたい

日本酒
どうでしょう?
380年余の歴史をもつ蔵元の
旧本店に行ってみる

京都盆地の山々が創る良質な地下水にめぐまれた
「伏見」は日本酒のまち。
「伏見」に来たなら「日本酒」にふれたい。
「伏見」には蔵元の旧本店を活用した
『伏見夢百衆』があります。

伏見夢百衆

伏見夢百衆はこんな施設

日本酒は選び放題
伏見の清酒(日本酒)の販売

伏見の清酒(日本酒)の販売

伏見の蔵元16社約80銘柄様々な種類の日本酒を取り揃えています。お好みや用途に合わせてスタッフがおすすめいたします。
※伏見の清酒=伏見でつくられた日本酒のこと

伏見の清酒(日本酒)の販売 伏見の清酒(日本酒)の販売

歴史ある空間で一休み
おくつろぎの喫茶

おくつろぎの喫茶

日本酒を味わうきき酒セットはもちろん、お酒の仕込み水を使用した水出しコーヒー、甘味など伏見を感じていただくメニューをご用意。大正建築の店内でごゆっくり。

おくつろぎの喫茶 おくつろぎの喫茶

手頃な伏見の商品を
おみやげの販売

おみやげの販

伏見の清酒を使用した酒まんじゅうや酒粕フィナンシェなど、伏見らしいお土産を販売しております。ちょっとしたお土産選びに、お手頃価格です。

おみやげの販 おみやげの販

伏見夢百衆の建物について

地域風土を考慮した建物のつくり
事務所の様子・御用酒納入の光景

建物は月桂冠株式会社の本店として、平成5年8月まで使用されていた大正時代の建造物。大正6年に建築をはじめ、十数名の職人が技を競い合い、大正8年に完成。
現在の喫茶スペースは、営業部と経理部の事務室、その奥の空間は新築当時、畳の間だったものを改造したもので、和風建築としての違い棚や欄間、あるいは坪庭などが今も残り当時の様子がうかがえます。
事務所の様子・御用酒納入の光景 江戸時代までの建物に比べると床から天井までが高く、しかも明治後期から大正時代にかけての特徴といわれる洋風建築のあとがあちこちに見うけられる建物。入口にある五段の石段や石囲いは、宇治川の氾濫による水害から建物を守るためのもので、建物は道路より約1m高い位置に建造されており伏見の風土を伝えています。

現在は、観光のお客様や地元の方々にご利用いただく「伏見夢百衆」として活用されています。
「伏見夢百衆」(ふしみゆめひやくしゅう)少し読みづらいかもしれませんが、平成15年の開店当初に地元の方々につけていただいた施設の名前です。

地域風土を考慮した建物のつくり

伏見夢百衆の場所(Google マップ)

日本酒のまち伏見−名水が生んだ世界に誇る味−

日本酒のまち伏見 日本酒のまち伏見

伏見のまちを語るとき
誰もが思い浮かべるのが、おいしい日本酒。
その長い歴史を支えているのは
恵まれた良質の地下水です。
酒造りの歴史は古く、まちが栄えた
安土桃山〜江戸期には人口の増加とともに
酒蔵の数もおおいに増えました。
明治・大正・昭和・平成と受け継がれた味は
いま世界に広がっています。

米とともに伝わった酒造り

 日本酒の歴史は長く、紀元前三〜二世紀に水稲農耕文化が大陸から伝えられた同じころ、米を原料とする酒造りもまた日本で始まったといわれています。都が京に置かれると朝廷文化とともに酒造りも発展し、神事や貴族のものだった酒は、時代が下るにつれて多くの人々に広まって商業化されるようになります。室町時代の応永三二年(一四二五年)、京都には三四二軒の造り酒屋があったとされ、伏見でも本格的に酒造りが行われだしたのは一五世紀ごろからといわれています。
 米とともに酒造りに欠かせないのが水。かつて伏見は「伏水」と書かれ、古来、良質の水が豊富に湧き出る地。その水から造られる酒は古くから、まろやかで口当たりが良いとされてきました。

濠川と酒蔵の風景(明治42年)・伏見の酒を生み出す良質の地下水 濠川と酒蔵の風景(明治42年)。
伏見の酒を生み出す良質の地下水。

酒蔵の並ぶまちへ

 戦国の世も終りに近づき、豊臣秀吉が天下統一を果たしたころ、伏見では城とその城下町が形成されていきます。文禄元年(一五九一年)に伏見城と城下町の造営に着手した秀吉は、大勢の大工や職人たちを全国から伏見に呼び集めました。
 それに比例するように増えたのが、消費される酒の量と酒蔵。明暦三年(一六五七年)の記録では、伏見の酒造業者は八三、醸造量一万五千石余という国内有数の産地として栄華を極めました。
 また、早くから地域の酒造業者が団結したのも特徴の一つ。仲間組織を作り、幕府への上納金などを取りまとめたり、不正取引の取り締まりや雇用条件の取り決めなどに努めたことで、地域の産業は守られていったのでした。

伏見の酒を生み出す良質の地下水。

危機を乗り越え
伏見の酒は日本全国、世界へ

 しかし、伏見の酒造の歴史は順調なことばかりではありませんでした。江戸中期には幕府の政策で洛中の酒蔵が保護され、伏見の酒は大きな市場を失います。他産地の成長もあり、幕末には醸造量一八〇〇石まで激減。深刻な状況のなか、それでも人々は仲間組織の堅守や品質向上への志向、市場や運輸に関する広い視野を培い、明治以降は積極的な事業活動を展開していくようになります。
 明治に入り、伏見の酒造家たちがいち早く目をつけたのは鉄道。販路を全国に広げることで伏見の名を全国に知らしめ、生産量・販売量ともに大きく増加したのでした。
 いま、日本全国はもちろん世界各国で飲まれている伏見の酒。それは先人たちの絶え間ない努力と酒造りにかける熱い思いの賜物なのです。

夏の風物詩 酒蔵通ライトアップ
製造工程 製造工程 美しい景観を創り出す酒蔵。